この記事は、クラウドワークスで募集した「退職体験談」の記事を書いてくださった miho_freelance25さん(20代女性)の記事です。
以下、彼女のプロフィールです。
- 大学卒業後、憧れの一流ホテルに就職。最初の3年間は接客部門で活躍するも、「キャリアアップ」を求めて営業部門へ異動。しかし想像を超える過酷な環境に1年で退職を決意。
- その後、Webライティングの世界に活路を見出し、現在はフリーランスライターとして独立。
- 「働き方改革アドバイザー」の資格も取得し、ワークライフバランスを重視した働き方を提唱中。
- 趣味は国内旅行と猫カフェ巡り。
- 休日は都内のカフェでゆったり仕事をするのが日課。「仕事も人生も、自分らしく生きることが一番」がモットー。
はじめに – 営業職への憧れと現実
- バリキャリでカッコいい
- 給料が良さそう
- 成長できそう
—あなたはこんなイメージを営業職に抱いていませんか?
私もそうでした。接客部署からキャリアアップを目指して営業部への異動を希望した私の物語です。
この記事では、華やかに見える営業の世界の裏側と、自分自身と向き合い、最終的に退職を決断するまでの1年間を包み隠さずお伝えします。
💡 どんな仕事にも向き不向きがあります。自分に合っていないと感じたら、早めに見極めることも大切な選択肢です。
もちろん、営業職が天職だと感じる方もいます。
しかし私の場合は、1年間の奮闘の末に「自分には向いていない」という結論に達し、決断をしました。
この体験が、同じように悩んでいる方の参考になれば幸いです。
また、毎日仕事に行くことが苦痛になっている方は、ぜひ【職場に行きたくない人へ】あなたが休みを取るべき本当の理由という記事もチェックしてみてください。
心身の健康を守るために必要な情報が詰まっています。
ホテル内勤営業の実態 – 表面的な華やかさの裏側
多岐にわたる業務内容
私が配属されたのは、ホテルの内勤営業部門。
主な業務は、ホテルで開催される各種イベントのコーディネートでした。
具体的には、
- 会社の忘年会(20万円規模)から全国規模の講演会(1,000万円規模)まで
- 県知事や副知事が出席する公式展示会
- 企業の◯周年記念パーティーや表彰式
これらのイベントを成功させるために、次のような多岐にわたる業務を担当していました。
- 宿泊手配: 遠方からの参加者のホテル予約管理
- 会場設計: 目的に合わせた最適なレイアウト作成
- 飲食プランニング: 予算と目的に合わせた食事・飲物の選定
- 進行管理: タイムスケジュールの作成と当日の運営
- 技術対応: 音響、映像、マイク等の機材手配と設定
- エンターテイメント: 司会者や余興のブッキングと調整
- 印刷物管理: 吊看板、席札、案内状等のデザインと製作
- 付帯サービス: 駐車券の手配、役員控室の準備
- 予算管理: 見積もり作成と予算調整
- 社内調整: 関連部署との打ち合わせと連携
理想と現実のギャップ
「イベントを創り上げる」という仕事は、確かにやりがいがあります。
参加者が笑顔で帰っていく姿を見たときの達成感は何物にも代えがたいものです。
しかし、現実は甘くありませんでした。
月に10件程度なら、楽しくやれたかもしれない。
しかし一人で25件もの案件を同時進行で担当するとなると、状況は一変する(苦笑)
大量の案件を抱えることで、
- お客様一人ひとりに十分な時間をかけられない
- 納期に追われ続ける毎日
- 社内の他部署からのプレッシャーも増加
特に大規模なイベントになればなるほど、「早く終わってほしい、楽になりたい」という思いが強くなっていきました。
華やかな表面の裏側で、疲弊していく自分がいたのです。
営業職の過酷な日常 – 2つの大きな壁
営業部に異動して特に辛かったのは、主に2つの要因がありました。
これらが私の心と体を追い詰めていきました。
1. 終わりなき業務量と当たり前の残業文化
営業部に配属された最初の違和感。
それは就業時間が過ぎても誰も帰らない職場の雰囲気でした。
以前の接客部門ではシフト制で、時間になれば次のスタッフが来て引き継ぎます。
また「仕事が終わったらさっさと帰れ」という健全な文化がありました。
「なぜ営業部の人たちは定時になっても帰らないのだろう?」
数か月働いて分かった答えは簡単でした—とても定時で終わらせられる業務量ではなかったのです。
外勤と内勤の過酷な現実
- 日中は2~3件のクライアントアポイントをこなす
- オフィスに戻るのは夕方以降が基本
- 帰社後に見積もりや提案書の作成を開始
- 毎日21時~22時までオフィスに残るのが当たり前
- ピーク時は月25件もの案件を同時担当
- 関連部署との連絡調整と手配書作成
- 見積もり・資料作成も多数
- 休む間もなく鳴り続ける電話対応
この業務量の多さは、単なる「忙しさ」を超えて、精神的な限界を感じさせるものでした。
帰宅後も仕事のことが頭から離れず、翌日の業務に不安を感じながら眠りにつく日々が続きました。
2. 板挟みによる精神的ストレス
営業職の本質的な役割の一つに、顧客と自社の間に立って調整するということがあります。
しかし、この「仲介者」としての立場が、想像以上に大きなストレス源となりました。
顧客からの理不尽な要求例
- 「会場費が去年より上がっているのが納得いかない」(物価上昇や季節変動があるにも関わらず)
- 「食事のキャンセル料が100%だなんて聞いていない」(契約書に明記されていても)
- 「見積もりをメールで送ったら、その後に電話をするのが筋だろ」(業務優先順位を顧客が決めようとする)
- 「〇時までに会場レイアウト送って下さいと昨日メールしたんですが」(無理な納期での要求)
- 「地域の食材を仕入れてこれだけの予算で料理を作ってください」(予算と要望のミスマッチ)
- 「他のホテルではやってくれたのになんでできないのか」(競合との不当な比較)
- 「参加者が全員年寄りなので料理全部取り分けてください」(通常サービス範囲外の要求)
挟まれる立場の苦悩
異動1年目の私は「ホテルで何ができて、何ができないのか」の線引きすら理解していない状態でした。
一方で、顧客はホテルが何でも対応してくれると思い込んでいる。
もう一方で、キッチンなどの関連部署は「それはできない」「これも無理」と制約を突きつけてくる。
この板挟み状態で、毎日のように頭を抱え、どうにかして全ての関係者が納得する解決策を見つけ出すことに心血を注いでいました。
しかし、その努力が報われることは少なく、むしろ徐々に消耗していくばかりでした。
精神的限界を感じた瞬間 – 自己との対話
早くも訪れた心の危機
最初は「新しい環境で頑張るぞ!」と意気込んでいた私ですが、わずか3か月が経つ頃には、心が折れかけていました。
自分でも「なぜわずか3か月で心が折れるのか」という記事を書くほど、精神的に追い詰められていたのです。
続けられた理由
それでも私が耐え続けられたのは、一人の存在があったから。
メンターとして親身に指導してくれた先輩の存在。
「ここで辞めたら先輩の顔が潰れる」
という、今思えば不思議な責任感に支えられ、当初は
「せめてボーナスの出る12月まで働こう」
という目標を立てました。
(結果的には翌年3月まで務めることになりましたが)
悪化する状況
しかし、月日が経つにつれ、状況は改善するどころか悪化の一途をたどることに・・・
- 仕事内容はより複雑化: 難易度の高い案件が増加
- 人員不足の深刻化: 同僚が次々と退職していく中、一人あたりの負担は倍増
- 経験不足のハンデ: 1年目の私は他の同僚より作業に時間がかかる
- 限界を超える対処法: 家に仕事を持ち帰る(後に発覚して叱責される)
- サービス残業の常態化: こっそり残業して何とか業務をこなす日々
心の叫び
そんなある日、ふと思いました。「なんで自分はこんなに仕事ばかりしてるんだろう」と。
その瞬間、突然涙があふれ出しました。
これは単なる疲れではなく、心の奥底からの悲鳴だったのです。
「明日仕事に行かずにこのまま消えようかな」
このような思いが脳裏をよぎったのは一度や二度ではありませんでした。
心身ともに限界だと感じる瞬間が、徐々に増えていったのです。
退職決断までのプロセス – 周囲の反応と自分の意志
退職の決断
結局、私は営業部に異動してちょうど1年で退職することを決意。
20代で新卒入社した会社を辞めるという決断は、簡単なものではありませんでした。
周囲からの反応
決断を伝えると、予想通り様々な反応がありました・・・
- 中途半端だ
- まだ何も成し遂げていない
- もう少し頑張れば慣れてくる
- せっかく教えたのに…
しかし、私は自分の気持ちに正直に向き合い、「自分の時間が欲しいから辞めたい」と主張し続けました。
真の理由を理解する
この1年で、「営業はきつい」とよく言われる理由を身をもって体験しました。
- 売上目標達成のプレッシャー: 常に結果が求められる環境
- 膨大な業務量: 質より量を求められる現実
- 理不尽な要求への対応: NOと言えない立場の辛さ
- 常に完璧を求められる: 小さなミスも許されない緊張感
しかし同時に、大切な気づきも得ました。
営業という仕事は、世の中の数ある職業のほんの一部でしかありません。
自分に合わないと感じたら、新しい道を探す勇気も必要。
決断後の心境
退職を決めた瞬間、長い間押さえつけていた重圧から解放されたような感覚がありました。
辛い日々を振り返りながらも、この経験が今後の人生における大切な教訓になると感じています。
退職後の気づきと学び – 自分に合った仕事の見つけ方
早期発見の重要性
営業職が合わないと感じたら、ストレスで動けなくなる前に行動することが重要です。
心身の健康を損なってからでは、回復にも時間がかかります。
私の場合は、限界を感じながらも1年間踏ん張りましたが、もっと早く決断していれば、不必要な苦しみを避けられたかもしれません。
次の一歩を踏み出すために
「でも、次の職場でまた同じように辛い思いをしたくない…」
これは誰もが感じる不安です。
よく「自分の強みや好みを知ることが大切」と言われますが、それが簡単ではないことも理解しています。
おすすめの自己分析方法
個人的におすすめなのが、自己分析・診断サービス。
近年はAI技術の進歩により、精度が格段に向上しています。
まずは無料のサービスから試してみるのも良いでしょう。
- 価値観: 何を大切にしているか
- 強み: 自然と発揮できる能力は何か
- 興味: どんな分野に関心があるか
- 環境適性: どんな職場環境で力を発揮できるか
- ストレス要因: 何が自分を消耗させるか
経験を活かす視点
営業職での経験は決して無駄ではありません。私の場合、次のスキルを身につけることができました。
- コミュニケーション能力の向上
- プレッシャー下での対応力
- 複数業務の同時管理能力
- 問題解決能力
- 自分の限界を知る自己理解
これらは、どんな職場でも活かせる貴重な資産です。
まとめ – これから営業職を検討している方へのアドバイス
営業職の実態を知る
営業職は、確かに高収入や成長機会が得られる魅力的な職種です。
しかし同時に、以下のような厳しい現実も伴います。
- 長時間労働が常態化している職場が多い
- 数字へのプレッシャーは想像以上
- 顧客と会社の板挟みになるストレスは大きい
- 個人の時間を犠牲にする場面が多い
自分自身と向き合う勇気
会社や周囲の期待に応えようとするあまり、自分自身の気持ちを無視してはいけません。
以下のサインには注意しましょう。
- 日曜の夜に強い憂鬱感を感じる
- 仕事のことを考えるだけで体調が悪くなる
- 何をしていても仕事の心配が頭から離れない
- 睡眠の質が著しく低下している
- 趣味や家族との時間を楽しめなくなった
このようなサインが続く場合、早めに状況を見直す必要があります。
最後に
私の体験談が、同じような悩みを抱える方の参考になれば幸いです。
どんな選択をするにしても、自分自身の心と体の声に耳を傾けることが何よりも大切です。
自分に合った仕事を見つけることは、人生の質を大きく左右します。一時的な我慢や忍耐ではなく、長期的な視点で自分の幸せを考えましょう。
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営業職でお悩みの方、この記事があなたの決断の助けになれば幸いです。
どんな選択をするにしても、あなたの健康と幸せが最優先であることを忘れないでください。
あなたの職場での幸せと成功を心より願っています。
営業職を辞めてよかった – 異動1年で退職するまでの真実と教訓の感想
miho_freelance25さんの経験が非常に生々しく、そして誠実に描かれていると感じました。
特に印象的だったのは、営業職の華やかなイメージと厳しい現実のギャップを具体的なエピソードで示されている点です。
一人で25件ものイベントを同時進行で担当する過酷さや、「定時で帰れない職場文化」の描写は、多くの方が共感するのではないでしょうか。
また、お客様と会社の間での板挟み状態の心理的プレッシャーも非常に具体的で説得力がありました。
「他のホテルではやってくれた」という理不尽な要求や、社内の関連部署との調整の難しさなど、営業職特有の苦労が手に取るように伝わってきます。
特に「自分の時間が欲しいから辞めたい」という率直な思いを貫いた姿勢には勇気づけられました。
miho_freelance25さんが伝えようとしている「自分に合わない環境に無理に適応しようとするより、新しい道を探す勇気も必要」というメッセージは、多くの読者の背中を押してくれるものだと思います。
実際に著者自身がフリーランスとして成功されている姿は、その主張に説得力を与えています。
この記事は単なる愚痴や批判ではなく、自己分析の重要性や次のステップへの前向きなアドバイスも含まれており、同じような悩みを抱える方々にとって、非常に価値ある情報源になっていると感じました。